大蛇山の歴史

大蛇山とは?

大蛇山とは、全長約十メートル、高さ約五メートル、重さが最大三トンにもなる山車(だし)のことで、木製の山車に和紙、竹、わら等を組み合わせて作った頭・胴体・しっぽが大蛇のように飾りつけられています。毎年七月には、大蛇山が口から火煙を吐き、太鼓や鐘を打ち鳴らしながら、町中を練り歩きます。

同月第四土曜・日曜には、大牟田市の中心街「大正町」にて、おおむた「大蛇山」まつりのメイン行事が開催されており、市内外から集まった、多くの大蛇山を間近で見ることができます。

大蛇山の起源とは?

大蛇は水の神様

日本には農業などに水が大切なことから、蛇(オロチ・ミズチ)や龍を水の神様の象徴とする「水神信仰」がありました。大牟田市内の三池地方にある「三池山」山頂の三つの池は、古くは雨乞いの祈祷を行う場所だったとされており、この地方にも蛇などを水の神様の象徴とする水神信仰が古くからあったと考えられます。

祇園とそのお祭り

江戸時代初めの頃の三池地方は、荒地が多く農作物の収穫が不安定で、さらに疫病がはやっていました。そこで当時の領主が、祭神を悪病除けや農業の神とする「祇園」のお宮を造り、地元の人々にも祇園信仰が広まり、祇園の祭りが藩をあげて盛大に行われるようになりました。

祇園祭への大蛇登場

「水神信仰」と「祇園信仰」はどちらも農業に関係する神様であり、結びつきやすい関係にあったと推測できます。この二つの信仰が絡み合い、やがて、祇園の祭りに大蛇が取り入れられ「大蛇山」という形ができあがったと考えられています。

大蛇山はいつはじまった?

記録によると、「嘉永(かえい)五年(1852年)三池祇園の祭りで、約三十人が山を曳き、山の制作には大竹・小竹・角縄が使われた」とされており、これが大蛇山の原型と考えられています。

祭りのしきたりについても「往古より変わらず」とされていることから、はじまりがもっと古いことは間違いありません。

よって、大蛇山は祇園のお宮が造られた1640年から1852年の間にはじまったと考えられています。

大蛇山はどう広まった?

現在、大牟田市内には数多くの大蛇山がありますが、大蛇山発祥の地・三池地方からどのようにひろまったのでしょうか?
そのはじまりは、明治二十六年(1893年)頃、本町五丁目(現・四丁目)の祇園で、氏子の若衆たちが三池祇園の大蛇山にならって作り始めたもので、やがてそれが大牟田の各区に広がり、現在の祇園六山となりました。その後、昭和五十年代以降、祇園六山とは別の由来(まちの活性化・青少年健全育成等)を持つ大蛇山(地域山)が作られ始め、大牟田全体に広がっていきました。

昭和三十年(1960年)代のまつりの様子
(写真は三池本町の大蛇山)

新大牟田駅観光プラザでは
大蛇山が常設展示されています。
(記念撮影可)

大蛇山基礎知識

祇園六山の大蛇山の魅力

大きな口を開け、頭を左右に振りながら火煙を吐く姿や、祇園六山の各山で異なる形・配色が人々を魅了します。

また、日本古来の祭りにある、山車などの「動き」、太鼓などの「音」、提灯など「明かり」の三つの要素に加え、大蛇山には「生きた光」である「花火」が使われています。 その様に「花火」を使い、蛇を御神体として、山車に乗せて動くという「昔の原型」を留めている祭りは、日本国内でも極めて珍しく、大蛇山の大きな魅力です。

かませ

御神体である大蛇の口に、子どもを「かませ」ると、その子の一年間の無病息災が約束され、泣くほどにご利益があると伝えられています。(地域山では「子ども健康祈願」として行われています。)

「ツガネ(かに)と大蛇」

「ツガネと大蛇」の伝説は、戦国時代に三池の地を支配した三池氏(実在の一族)が、その水神信仰に仏教的な唱道文芸を重ねた神話と考えられます。「蛇女房」の伝説なども存在していますが、大蛇山祭りの根源は、神話や伝説とは離れたところで、水神大蛇を祭神として発祥したものと考えられています。

大蛇山祇園六山 だいじゃやま ぎおんろくざん

三池本町祇園宮 みいけやまほんまちぎおんぐう

雲龍の彫刻と朱色に塗られた山車が特徴的な山車は、島原の乱の軍功のご祝儀として柳川藩主から贈られたと伝えられ、歴史の重みを感じさせる重厚な造りで、豪華絢爛です。伝統的な手法で作られる大蛇とこの山車との組み合わせは、一見の価値があります。

三池藩大蛇山三池新町彌剱神社 みいけはんだいじゃやまみいけしんまちやつるぎじんじゃ

昇天龍や金の蹄を持った謎の動物や三池藩の家紋など見事な彫刻が施された山車(愛称御前山)を是非見てください。
この御前山は1852年に三池藩主から下賜された品物です。
大蛇はメス大蛇で三角牙、頭のコブは一つとの伝説です。色彩は鮮やかな緑色を基調として毎年作成されています。

本宮彌劔神社 ほんぐうやつるぎじんじゃ

旧暦6月13日・14日の五穀豊穰、疫病、火災、洪水、早魃、魔除けとしてお祭をしたのが大牟田大蛇山の始まりです。古くから大牟田の祇園さんとして親しまれる彌劔神社の大蛇山はその伝統を現在に引き継いで行っています。

大牟田神社第二区祇園 おおむたじんじゃだいにくぎおん

市民の皆様に通称『二区』と親しまれ、大蛇の口に特別な『宝珠』をくわえもっています。
古来より魔除けの色とされる朱色に塗られた山車と伝統の黒・朱・緑の三色の色付を守りつつ、勇ましい雄雄しく作られいます。今まで大阪御堂筋・博多どんたく・ホノルルフェスティバル等、大蛇山の広報宣伝の先駆を果たしております。

三区八劔神社 さんくやつるぎじんじゃ

その鮮やかな色づかいで人気が高い大正町の大蛇山は、「三区」の名で親しまれています。より迫力のある山を作るため伝え守られてきた製法に新しい技術を加え、研鑽を重ねてきた大蛇の姿はとても凛々しく、見た者の目に焼き付いて離れないに違いありません。

諏訪神社 すわじんじゃ

諏訪山の大蛇の売りは、何といってもその荒々しさに尽きます。特徴ある顔を持つ諏訪の大蛇は男大蛇と呼ばれ、首を大きく左右に振りながら練り歩くその姿は、圧倒的な力強さに溢れています。

港まつり

海に感謝し、海を愛でる祭り

7月の海の日を中心に行われる港まつりは、記念式典や海事功労者の表彰を皮切りに、子供みこしや海洋教室など多彩な催しが行われ、海の代表的な祭りとなっています。

詳細は港まつりホームページをご覧ください!

一万人の総踊り

毎年35万人以上の人出で賑わうおおむた「大蛇山」まつり。
古いしきたりと伝統に支えられ地を鳴らして進む勇壮な大蛇たちが、町の各所で祭りに、そして人々の心に火をつけていく。
もう一つの見どころは、市民による1万人の総踊り。
「炭坑節」や「大蛇山ばやし」の曲に合わせ、約2キロにわたり列をなしての踊りが繰り広げられます。
熱く燃える大牟田の夏を彩ります。 今年の出場団体はこちらのページをご覧ください。